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パティーとの二十一夜(アルノー&ジャン=マリー・ラリユー、2015)

EU FILM DAYS のオープニング映像(今回上映される映画からワンシーンずつを抜き出したもの)の中で、一瞬だけれど気になる映像がいくつかった。そのうちのひとつが、ワンピースを着た女性が力強く、でも短く叫ぶシーン。
それは結局この『パティーとの二十一夜』のシーンだった。本編も素晴らしいシーンの連続で、良い映画を見れて幸せだと本当に思った。

結婚し、家庭を持ち、母親となった女性がある事をきっかけにして自分のアイデンティティに目覚める映画って、結構あるよなと思う。先日観たミア=ハンセン・ラヴの『未来よ こんにちは』もここに収まると思う。クロード・シャブロル『主婦マリーがしたこと』や、オードリー・ウェルズ『トスカーナの休日』も(『トスカーナの休日』はちょっと違うかも)。ペドロ・アルモドバル『オール・アバウト・マイ・マザー』なんかも近いイメージ。女性ではないけれど、周防正行『Shall We ダンス?』もそうかも。
なにが言いたいかと言うと、私はこういうテーマの映画がとにかく好きなのだ。映画が進むにつれて、主人公がどんどん活力を取り戻して生き生きとしてくる。泣いたり笑ったり時として怒鳴ったり、感情表現が豊かになるのを私も感じて、自分の心が満たされる。

『パティーとの二十一夜』も、行き詰った雰囲気を持っていた主人公キャロリーヌ(イザベル・カレ)が母の死をきっかけに訪れた南仏にある村で生きる歓びを見つける物語だ。性に奔放なパティーをはじめ、母の昔の恋人だという老人、奇妙な村の人々との交流を経て、その村に溶け込み、キャロリーヌ自身が変化していく。その変化はキャロリーヌにとって新しい人生の見方の獲得なんだろうと思う。変化により、不和のまま死別してしまった母親とも(幽霊だけれど)、セックスレスの問題があった夫とも和解できるようになる。
心の変化は、キャロリーヌの人生を大きく変えるものではない。彼女の人生はこれからも同じように続くんだと思う。ただし、以前よりはるかに生きやすい形で。
物語が進むと同時に変わっていく姿が美しい。そして何よりこの変化こそ、人の生きる歓びなんだと信じている。

映画は、母の遺体の失踪というストーリーラインも持っている。憲兵は、その犯人はネクロフィリアではないかと推測する。パティーはそれに対して、死んだ後も求められるなんて素敵じゃない?と言う。そんなふうに、この村ではファンタジーと死と性がカジュアルに日常に介入してくる。それに対して全く違和感を覚えないのは特徴のあるシネマトグラフィのおかげだろう。夜のシーンはスクリーンの中で何が起こっているのかよくわからないほど暗く、昼のシーンは夏の暑さが伝わるくらい陰影の差が強い。そこに、浮世離れした美しさがある。そこに映画の神秘さがあると思った。
村も人も神秘的で魅力的で、虜になってしまった。

 

アイデンティティの獲得のため、復権のために周囲を変化させるべく戦うことも必要だと思うけれど、でもこんなふうに周囲の影響を受けながら自分が変わっていくことも素敵だと思っている。そのためには変化を受ける人間の周囲が魅力的であることが重要で、まさに『パティーとの二十一夜』は場所も人も季節も何もかもが魅力に溢れていた。

ところで、キャロリーヌが自分のことを「熟女」と言っていたけれど(字幕では)、可愛すぎて熟女という言葉が表すものと一致しない…。

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