エル ELLE(ポール・バーホーベン、2016)

フランス映画祭にて鑑賞。私は前売り発売日にすぐチケットを購入したので並ぶ必要はなかったのだが、当日券に並んでいる人をいたと知りこう東京で起こるイベントの人の入りに改めて驚く。平日の午後なのに。
かくいう私も午後休を取って劇場へ駆けつけたわけだが。

おかげで、氷のような表情でレイプ犯に立ち向かう(立ち向かう、というより追い込む、と言った方が正しい)ミシェルの姿と、Q&A セッションで「(撮影で大変だったことはと聞かれて)別に何も大変じゃなかった」と平然と答えるイザベル・ユペール、いやユペール様を拝見できた。

以下、ネタバレしています。

レイプリベンジものの体をなしているにも関わらず、映画はレイプされて犯人を見つけ出し復讐するというストーリーだけでは終わらない。それどころか別の要素が重ねられ、とにかく複雑な作りになっている。レイプはただのきっかけに過ぎない。そこから彼女のトラウマの旅が始まる。
なのでこの映画は、”レイプリベンジ映画”というエンターテイメントの一部に成り果てたジャンルの皮を被った、ひとりの人間ー女性でもなく、人間ーのとてつもなくパーソナルな話なのだ。

あまりにも規格外過ぎて、見ていて混乱する。もっと面白い(laughable のほう)方向に走ったクロード・シャブロルみたいだ。ちなみに私は落第生なので、バーホーベンはまだ見たことがない(『氷の微笑』ですら!)。レイプリベンジものといったら、女性のエンパワーメントとか、そうでなければエンターテイメント作品になるのだろうけれど、これはどちらでもない。コメディだ。そうでしょう?最高に笑える。だから問題なんだろう。

この映画で起こり得る議論は、だいたい想像できる。強姦後のミシェルの態度、犯人に対する態度、コミカルな映画のトーン、レイプという題材の搾取、それが男性の監督によって作られた事実、エトセトラ。しかしこれらを考えたとき、レイプリベンジもののかくある姿を求めていることに気付く。レイプされた女性が露出した格好をしていたのではないか、と疑う人間がいるのと同じように、レイプリベンジものなのだから事件後は武装した尼の如く犯人へ復讐しなければならない、と。
ミシェルは被害者にはならず、かといって復讐の鬼にもならない。事件後もスッと日常へと戻り、そして会社の事、息子の事、不倫関係にある友人の夫の事、元夫の事、母親の事、殺人犯で終身刑となっている父親の事といった煩わしさに囲まれる。隣家に住むカップルの旦那に欲情し、別れた元夫の新しい彼女に嫉妬し、不倫を続ける。その間にも彼女は襲われ、そして犯人が判明した後も続く(そうなると、レイプなのかセックスなのか判別するのも難しい)。犯人と築く奇妙な関係は、ミシェルが行う復讐のひとつだ。受け入れる事によって復讐を実行している。
だが、その復讐はレイプ犯に対してのみではなく、彼女の父親に対しても同時に行われているように思えた。

おそらく精神分析やエディプス・コンプレックスについて詳しい人ならうまくまとめあげることができるだろうから私の文章が正しく表現されているかはわからないが、ミシェルは父親の影響を強く受けている。敬虔なカトリック教徒である彼女の父親は、メディアから見ると27人を殺した殺人鬼だ。ミシェルの強靭な性格が出来上がったのは過去のこの事件があったからなのは明白で、そして彼女は今も父親を許してはいない。レイプ犯の姿は、父親の二面性と重なる。レイプ犯との交流は、事実を越えて父親との交流へと繋がっているようであった。

とはいっても、やはり、激しすぎる。擁護するにも難しく、また感想を言うにも難しい。見ている私は難しいと思うのに、「別に大変じゃなかった」と言いのけるユペール様が素晴らしい。大ファンです。

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